今日、宇気郷地区で、ピアノコンサートが開かれた。
状況柄、受付では検温と消毒、会場内では適切なSocial Distanceを取り、いつも以上に間隔があけられた椅子が置かれてある会場の風景はまだ見慣れない。
むかし柚原小学校の廃校時に、グランドピアノとアップライトピアノが堀坂山の家に引っ越ししていたが、堀坂山の家の解体に伴い戻ってきた。そのことを記念してのおかえりピアノコンサートだった。ピアノの音だけでなく、歌い手の方もいたため、50分ほどの時間はあっという間だった。コロナの状況は良くならず、悪くなるなかで、開催するのかどうかということも検討されたそうだが、こんな時だからこそ、という気持ちが演者にもあったと聞いた。実際、久しぶりに聴く生のピアノと歌声というのは、代用ができないと改めて感じた。機械を通して聴くことよりも、発信している情報量が格段に違う。それらを楽しむことができるのがライブの醍醐味だと思う。久しぶりの生(なま)のコンサートに文字の如く“生(せい)”を感じられた気がする。ピアノという楽器を人が演奏することにより、参加した人たちの一体感が生まれる。そして、音を楽しみ、演奏と歌を楽しみ、また聴きたいと思わせてくれる。生きている喜びを感じられる瞬間だ。
ドイツ政府はコロナ禍のなかでも、“アーティストは生命維持に必要不可欠な存在だ”とグリュッタース文化相が発言したことはまだ記憶に新しい。そのために、外国籍であっても個人事業主や芸術家などにもドイツに滞在している人であれば、だれにでも給付金を届けた。ドイツという国にとって文化の位置づけが高いことは世界に注目されたと同時に、世界へのメッセージにも見えた。
私たちの多くは体験上、知っているとおもう…文化活動は国や世代を越え、習慣や言葉を越えて、人とひとが分かり合えるツールになることを。多様性が求められる日本社会でも、文化活動をコロナによって衰退させてはならない。
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