57台風の教訓から。

熊本を今月の頭に襲った豪雨。70人以上の命を奪い、大きな被害を残していった。コロナの影響から当初は他県からのボランティアを入れずに復旧作業を始めていたが、季節柄、迅速な復旧も望まれ他県からのボランティアも徐々に増えていると聞く。

豪雨と聞くと、まず思い出すのは昭和57年8月2日に松阪を襲った、のちに「57(ごーなな)台風」と呼ばれる大きな台風を思い出す。かく言う私の家族も被害を受けた。当時、私は2歳でなんの記憶もないが、家は床下浸水したと聞いている。また、阪内川沿いに住んでいたため(今も阪内川沿いではあるのだが)、引っ越しを余儀なくしたと母から聞いていた。4歳の時に今の家に引っ越したので、台風から一連の流れを憶えている。

その57台風の当時の新聞記事をうきさと地区で見せてもらえた。また、当時の自治会長さんが残した手記にも触れることができた。一刻一刻変わる状況下で、なにをしたとか、どう判断したとか、自治会長さんの対応が垣間見える内容だった。自然の猛威に後手後手でしか対応できない状況や、同時に複数の世帯が逃げられない状況など、文章から現場のリアル感を感じずにはいられなかった。

(当時の新聞記事)

 

さて、熊本の豪雨や大きな台風によって、川が氾濫する可能性というものは否めない。むしろ、近年の状況を考えれば、短時間で大量の雨が降る可能性というものは過去に比べれば高くなっているのかもしれない。そこで、松阪市内の「洪水ハザードマップ」を確認すると、櫛田川の上流では御麻生薗町まではハザードマップができている。ここからさらに上流…廣瀬町より西、についてはまだハザードマップができていない。
市役所に確認すると、この所管は国と県になるらしい。連携する県議からも県に確認をしてもらうお願いをした。

ハザードマップはひとつの指針になるもの。過去を見ても、未来を見ても、早急に必要なものであることに違いはない。